Fラン大中退ニートの雑記帳

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Fラン大中退ニートが適当に色々書くブログ

ニート映画夜話『娘は戦場で生まれた』の感想とか

『撮影された人々は消えない』

       ワアド・アル=カデブ

 

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娘は戦場で生まれた』という映画を最近観ますた。

 印象に残る作品だったので、紹介がてらに内容と稚拙ながら感想をば。

 鑑賞日:3月11日

 

  

 

基本情報

題名:娘は戦場で生まれた(原題:For Sama)

製作国:イギリス・シリア

公開日:2020年2月29日(日本)

ジャンル:ドキュメンタリー

監督:ワアド・アル=カデブ(撮影者)&エドワード・ワッツ

製作会社:FRONTLINE | PBS | Official Site | Documentary Series

     Channel 4 News

     ITN Productions

配給:TRANSFORMER

公式サイト:http://www.transformer.co.jp/m/forsama/

 

 

内容

 シリア内戦にて行われた「アレッポの戦い」を含む、2012~2016年の5年に及ぶ記録。

撮影者は監督及び製作を努めた、ジャーナリストのワアド・アル=カデブ

 2011年のシリアでは、「アラブの春」に呼応するかのように、アサド大統領による独裁政権下に対する民主化抗議デモが行われた。この抗議運動が現在まで混迷を極めているシリア内戦の始まりである。

 映画では、アレッポ大学の経済学部に通うワアド(撮影者兼監督)が、自身の持つビデオカメラを通して、内戦直前ー2011年の蜂起ーアレッポの戦いー反体制派の撤退、までを捉えている。

 ワアドはその紛争の最中、アレッポ市内に残っている数少ない医師であり、学友でもあったハムザと恋に落ち、長女であるサマを出産する。

 紛争が市内を飲み込んでいく中、ワアドは娘を育て、安全のために市内から逃げるか、自分の子供達に同じ道を歩ませないために戦うか、という苦しい決断を迫られる。

 

 映画の内容を簡単にまとめると以上のような感じになる。

 

 

感想

 

 この作品が映していたもの、それはシリア内戦のかくも残酷な”現実”だった。

 

 シリア内戦については、なにか動きがあれば日本の各メディアが報じることもあり、知らないという人は殆どいないと思う。

 けれども、実際にシリアの街や人々がどのような状況、生活を送っているのかについて、知る人は少ないのではないかとも思う。(自分が無知なだけかもしれないことは否めない。)

 

 反政府勢力 対 政府側という構図なのだが、政府側にはロシアも支援しており、ロシアによる空爆も日常茶飯事である。反政府勢力は武力の面で圧倒的不利な状況にある。

 毎日の空爆や治安部隊との衝突で、街は破壊され、子供であれ大人であれ関係なく殺されてしまう。子供は親兄弟を亡くし、親は自分の子供を亡くし、その亡骸を抱く。

 そういった様子が映画では延々と続く。

 キツい描写もそれなりに多く、人によっては鑑賞を続けることに耐えられない人もいるかもしれない、しかし、今まで知ることのなかった残酷な"現実"がそこにはあり、それは決して目を逸らしてはいけない"事実"なのである。

 

 映し出される内戦の状況は、日々悪化の一途を辿る。しかし、街の人々はその様な状況でも冗談を言い合ったり、撮影者のワアドは結婚し、子供を生んだのである。メディアが報じる情報では知ることの出来ない「人々の生活」が確かにそこには存在していた。それを知るだけでもこの映画を観る意義はあったと思う。

 

 作中でワアド(撮影者)は「誰も助けてはくれない(ニュースで訴えたりしてるのに)、仲間は私達だけ」と言っていた。映画を観ている人たちに伝えたいことは、この言葉に集約されてると思う。自分も映画を観たあと色々考えてみたが、何も思いつかない。どうすればいいのか、何が出来るのか。その答えは出ていない。しかし、考えることを放棄したらそこで終わりなのではないだろうか。目を覆い、臭いものに蓋をするのは、彼らが今まで命をかけてやってきたことを、蔑ろにする行為だと思う。

 

 作中のとある夫婦のやりとりで、夫が柿を1つ見つけ、それを妻に渡すシーンがある。たった柿1つである。しかし、妻はまるで壁が崩壊した直後のベルリン市民のように喜んでいた。絶望的な状況の中、そこには「幸せ」(あるいは希望)が確かに存在していた。ワアドが結婚し出産した場面にも、そこには人々の「幸せ」があった。だからこの映画を観て、「自分たちがいかに幸せか分かった」などという感想は持たないようにしようと思った。 

 

 原題の「For Sama」は直訳すると「サマのために」または「サマに」になる。作中では度々、ワアドが自分の子供に対して”語り”を入れる場面がある。

 なぜ、彼ら(彼女ら)は命をかけてまで政府と戦った(戦っている)のか、それは自分たちの"子供の未来のため"なのである。自分たちと同じ苦しみを味わってほしくないから、彼らは戦ったのだ。

 この考え方は、日本においても(というか社会生活を営むホモサピエンスなら誰でも)非常に大事な考え方だと思う。

 

 まあ、ニートの私が言うのもアレなんですけどね。。。

 

 この作品は、前述の通りシリア内戦を映したドキュメンタリーであることから、「楽しい」内容ではもちろんない。大衆娯楽映画とは真逆の作品となっている。そのため、幅広い興行は行われていない。でも、この映画は様々な人に観てほしいし、観るべき作品、知るべき真実だと思う。

 ジャーナリズムの必要性、あるべき姿もまた、この映画から学べることであると感じた。

 

 

 書いてないけどもっと語るべき部分や印象に残った場面、言葉はたくさんあるので、本当に色んな人に観てほしい。

 

以上。お目汚し失礼。

 

 

 あれだね、普段全く文章を書かないことが露呈するような記事になったな。。。